台本:
レギュラーの稽古のためのシーンは、ずっとシェイクスピアの『夏の夜の夢』を使ってきましたが、一昨年は、チェーホフの『ワーニャおじさん』も使ってみました。
『夏の夜の夢は』は7年近くやっていますが、面白く、何回同じシーンをやっても飽きません。チェーホフもやっぱり面白いですが、長台詞が多いので、セリフだけの練習ならいいですが、立ち稽古までやろうとすると、シーンはだいぶ限られてしまうかもしれません。
いずれにせよ、リーダーのわたしの勉強不足のため、レギュラーの稽古でも、いろいろな戯曲を提案できないところがネックになっています。
ただ、レギュラーの稽古は、基礎稽古であり、だからこそ、ちょっと手ごわいものをやったほうがいいので、練習として、シェイクスピアやチェーホフをやるのは正解だったと思っています。
芝居のエッセンスが詰まっているし、それ自体すごい文学なので、何回やっても面白い。だからこれからも、シャイクスピアやチェーホフは取り上げたいと思います。
しかし、レギュラーの稽古の指導役であるわたしが、シェイクスピアの主要な作品とチェーホフの4大戯曲くらいは、しっかり読んで勉強して、どんな作品からでも、シーンを提案できるようにならなければならないだろうと思っています。
それがわたしの重要課題の一つです。またいつか、アマチュアシアターでもシェイクスピアやチェーホフをやるというのは、わたしの夢のひとつです。
本番の台本探しも課題です。
公演用の台本は、主に日本の作品を取り扱うようにしているのですが、やはりわたしの戯曲の読書量が少ないので、その時のメンバー構成にぴったりの戯曲を探すのは大変になります。
メンバー構成、例えば、役の性別とか年齢は、既に読んでいれば、この役は台本では男だが、女がやることも可能、といった判断ができるのですが、初めから、男2人女2人の構成の戯曲を探すというのは難しいし、かつ当然戯曲自体が面白くなければならないので、探すのは更にハードルがあがるのです。
公演の台本の決め方に関しては、メンバーからの提案もありですが、当面は、ATの演出者のわたしが最終的に決めようと思います。
公演の戯曲に関しては、既存の戯曲ではなく、オリジナルの作品という可能性もあるでしょう。
ところが難点は、当たり前ですが、やりたいと思うような作品を書けるアマチュア作家が出てこないと難しいということです。
前にも書きましたが、既存の戯曲の良さは、プロの劇作家の本を使える点にあります。
それに対して、アマチュアでも台本を書く人は結構いますが、クオリティが落ちる場合が多い。
アマチュアシアターにとって、演出や役者はアマチュアでも台本は一流のものをやれるというのはやっぱり魅力です。
一方、オリジナルの作品をやるメリットは、メンバー構成に合わせて、台本を書いてもらえるし、直しとかも柔軟にしてもらえる点だと思われます。
今後、アマチュアのスタンスでやっていて、なおかつ才能のある作家とATが出会えるかは、運でしょう。
ただ、同じ作家の作品をやり続けるのは、どうしてもワンパターンになるので、既存の戯曲をやるにしろ、オリジナル作品をやるにしろ、同じ作家のものばかり上演することはなるべく避けた方がいいのではと思っています。
劇場:
アマチュアシアターは、第一回目の公演は、南阿佐ヶ谷のひつじ座という劇場でやりました。
しかし、これは、劇場企画オムニバス公演ということで、舞台のセット自体は、既に劇場の方で決めており、その決められたスペース内で、芝居を上演させるものでした。
照明や音響なども劇場側が用意してくれますので、本当の意味で、劇場を使ったという感じではなく、芝居だけ作って、それを劇場にもってゆくだけでよかったのです。
2回目公演以降は、オムニバスではなく、アマチュアシアター単独公演を目指しましたので、ひつじ座は使いませんでした。
というのも、単独で借りるとなると、費用面で、厳しかったからです。
第二回公演、第三回公演は、高田馬場のプロト・シアターという劇場を使いました。
一番の理由は、劇場のレンタル料が安かったからです。
また第三回公演にあっては、舞台セットも設営するため、舞台の広さが求められましたが、プロト・シアターの舞台スペースは間口9m、奥行き6mも取れたので、この広さのところを他で求めると大幅に劇場レンタル料がかかります。
その意味でもやはりプロト・シアターしかほとんど選択肢がありませんでした。
しかし、プロト・シアターには、それ以外の点でいくつか困難な点があり、アマチュアシアターがずっと使ってゆく拠点としての劇場としてはどうかと思っています。
あるいは、公演の規模などによって使い分けが必要ではないかと思います。
アマチュアシアターの公演の費用は、基本、演出者と役者のメンバーの均等負担になっており、一人最大5万円負担としています。
ですので、キャストの少ない公演をうつ時はどうしても、レンタル料の負担の少ない劇場を選ばざるをえません。
逆にキャストが6名以上と多い場合は、スペースや備品の備わったレンタル料が相場の劇場を使用することが可能となるのです。
劇場については、お金だけではない問題もあります。
というのは、アマチュアシアターは、基本日曜日の1日公演で、前日土曜日が仕込みですので、土日の2日間借りることになります。
ところが、多くの劇場(小劇場)では、土日を挟む場合は、金土日の3日間からのレンタルとなるところや、仮に土日の2日間だけ借りることができても、5日間なら1年前から、3日間なら半年前、1、2日のみのレンタルの場合は、3か月前から申し込み可能、というふうになっている劇場も結構あり、アマチュアシアターは、稽古期間の関係上、少なくても8カ月前には劇場を取らなければならないので、3カ月前では、とても間に合いません。
このように日曜日、土曜日を1日もしくは2日だけ貸してくれる劇場も少ないのです。
劇場については、レンタル料が安く、短期間でも借りられる劇場を今後、発掘してゆく必要があるのです。
動員:
動員の問題は、どこの小劇団でも課題ではあると思いますが、アマチュアシアターにとっての問題を書いておきたいと思います。
アマチュアシアターでは、いわゆるチケットノルマのようなものをメンバーに課すことはありません。
ひとつには、それ以前に、公演費用等分負担ということで、参加メンバー各自最大5万円出してもらっていますし、アマチュアの場合は、プロのスタンスでやっている役者のように動員するのは基本的に難しいと考えるからです。
プロなら、命かけてやってるからぜひ観に来て!ということもできるでしょうが、アマチュアは、所詮遊び、趣味です。
もちろん、やっているわたしたちは一生懸命やっていますが、少なくとも、他人から見れば、単なる趣味ですから、それを観に来てくれというのは、言うことはできますが、あまり押し強くいうことはできません。
また、学生ではないので、個人的に呼べる知人がもともと少ないということもあるかもしれません。
それ以外にも様々な事情があるのが社会人です。
こんな風ですので、アマチュアシアターのメンバーにノルマを課すことはできないのです。
アマチュアシアターは、プロのようにお客さんを呼べるかどうかで、あるいはノルマを払ってもらえるかどうかで、一緒に演劇活動をするわけではありません。
強いて言えば、社会人でも演劇体験をしてみたいという純粋な動機が一緒にやる一番の条件です。
したがって、アマチュアシアターの公演の動員は、その時のメンバーによってだいぶ違ってくるのです。
第2回公演は、3人芝居でしたが、役者が呼んだ動員の平均は、6.5人位です。
ところが、第3回公演は、4人芝居でしたが、役者の動員の平均は、17.5人でした。
これは、どちらがいい、悪いということではなく、アマチュアシアターにとっては、公演の動員は、その時のメンバーに依存するということです。
ただアマチュアでも、わたしの知人で、お客を40人呼んだというひともいます。
つまり、動員は人によるのです(それはプロのスタンスでやっている人でもおそらく同じです。しかしプロの人は、ノルマが達成できなかった場合は、その分お金を払うのです)。
(ちなみに演出のわたしは、いつも25人位は呼んでいます。呼ぼうと思えば、もっと呼べるはずだし、わたし自身はもっと呼ぶべきだと思っています)
しかし、公演を成立させるということの中には、動員をしてなるべくたくさんの人に見てもらうということも大事な要素の一つです。
ですから、その時のメンバーの動員が弱かったとしても、最低限の動員を確保できるようなシステムができるといいなあと思います。
これはプロ・アマ問わず、ほとんどの劇団において課題ではあると思いますが(ただ大抵のプロの劇団は、それはノルマ制をしいて役者に負担させることによってカバーしてます)。
インターネットを利用して、何かできないかと考えていますが、これはまだ探っている最中です。
リーダーで演出者のわたし自身の課題ですが、やはり、アマチュアシアターに参加してくれた人に、まずはレギュラーの稽古から本番の稽古、そして公演までを、一通り経験させてあげることだと思っています。
それは課題というか、おんどを取っている者としての責任です。
そして、アマチュアシアターとして意図しているのは、演劇体験を通して、表現することや、人と人とのつながりの場、を提供することです。
わたし自身はこの場を通して、演出の勉強、リーダーシップの勉強、そして人間関係の勉強をしているつもりです。
そういえば、いつだったか芝居の師匠にこんなことを言われたことがありました、
「お前が、アマチュアシアターなんかやっても、それは演劇的にはなんの意味もないことなんだよ。ただ、人間としてはメリットがあるかもしれない」。
まあ、人間としてなんらかメリットがあるなら、それはやっぱり、わたしにとって十分に意味のあることだと思います。