④本番の稽古:立ち稽古 | 第二回公演の記録

いよいよ立ち稽古がはじまりました。

 

立ち稽古は、はじめのシーンから最後のシーンまでおおかまかな動きをつけてゆく、荒立ち(稽古)と、その後、各シーンを丹念に作り上げてゆく返し稽古・抜き稽古、そして、通し稽古の3種類からなります。

 

 

ATにとって、非常に大きな割合をしめており、演出者としても力が入るのが荒立ちです。

 

プロのベテランの俳優さんたちでやってゆくと、荒立ちは、サクサク進みますが、舞台初めてという人にとっては、袖から舞台に入ってくるところから、舞台での動き方、身のこなし、共演者とのアンサンブルなど、簡単に自分で動けるものではないので、演出がある程度つけてゆく必要があります。

 

わたしは稽古場に来てすぐに各役者がどう動くかについて即興で指示できるほどの力量などないですので、家である程度予習してきてつけることになります。

 

 

この時期に演出者として稽古前の準備が一番多くなります。

 

今回のメンバーでは、ナヲも匠も舞台経験者でしたが、ひとみは、生まれて初めての舞台でしたので、主に彼女の動きはしっかりと考えて稽古に臨みました。

 

また荒立ちをラストシーンまでやると全体の感じが役者としてもわかるので(それまでは全体の感じは演出者のイメージの中にしかない)、なるべくはやく、そしてしっかりと荒立ちをやることが、立ち稽古後半に向けても大切になってくるわけです。

 

 

hogi荒立ちがはじまってから驚いたことは、今回は出演者のセリフ覚えがいいということです。

 

第一回目の公演では、出演者にセリフがなかなか入らなかったので、てこずった経験がありましたから、今回も厳しいのかなと思っていました。

 

アマチュアシアターですので、そんなに家でやってきてとはいいずらいので、また事実、そう無理をいうわけにもいきませんので、セリフが入るのが今回も稽古後半になるのかなと思っていましたが、初めての荒立ちの稽古からラストまで、今回は出演者のセリフ覚えがなんていいこと!

 

第一回目の作品とは違って、出演者3人の会話・やりとりが多いからでしょうか、むろん出演者の家での努力もあると思いますが、セリフがほとんど3人とも毎回入っていたので、非常にスムーズに稽古ができました。

 

また、役者3人の中でも、中心的な役割を果たすゲサク役には、たくさんの長台詞もあり、これは稽古場の中で時間をとって覚える機会を作ってあげないといけないよなあ、と思っていましが、そんな長台詞もゲサク役の匠は、サクサク覚えてきてくれて、非常に稽古の進行が楽でした。

 

 

荒立ちの山場は、おどりのシーンで来ました。レギュラーの稽古では、なるべくメンバーが好きに自分のイメージしたことをみんなの前でやってみることを大切にしていますが、本番の稽古ともなると、そこには、メンバー自身ではない、役があるわけで、役を演じるためには、自分ではないもの・ことをやらなければならないし、ある程度、役の型にはめてゆくことも必要です。

 

むろんその型とは台本が要求しているところのものです。

 

 

台本の要求に応えなければ、その台本をやる意味はないわけで、そして、役者は、台本や演出者の要求や制約の中で、あるいはそれを踏み台にして、役を表現することが求められているわけであって、あるいは、その制約の中でこそ、役を表現することができるわけです。

 

このように荒立ちとは役者が役者としてジャンプするための土台作りに当たるわけですが、一方で、演出者から型にはめられたり、ときには、自分のイメージしていたものを壊されたり、ダメを出されたりすることは、役者にとっては、そんなに愉快なことではないわけで、葛藤も起こるところです。そこのところを演出者としてどうケアしながら稽古を進行してゆくかというところはなかなか難しいところでした。

 

 

「寿歌」では、キョウコのおどりのシーンがありました。

 

結構重要で、また楽しいシーンです。しかしわたしはおどりの勉強はしたことないし、キョウコ役のひとみもおどりなんかやったことないし、振付どうしようかなあ、と思っていました。

 

そこで思い出したのが、今回スタッフで参加しているメンバーのりょうのことです。

 

彼女の特技は、クラシックバレーだったのです。

 

(なんだ、おどりの専門家がいたじゃん!)

 

とおもって、りょうにはじめ振付を頼みました。

 

一応、おどりの曲はその時には決まっていて、それに合わせておどる、振付をお願いしたのです。

(曲は、ドリフターズの加藤茶さんの「ちょっとだけよ」のギャグで有名な「タブー」でした。)

 

 

しかし、結果としては、クラシックバレーの感じ・ふりをそのままつけてみてもいまいち演劇的でなく、またわたしが好きに作ってみてといったので結果としてそのシーンにマッチするようなものができてこず(それにはもう少し、細かく条件をつけてお願いすべきでした)、それでもう一回考え直してもらうことになり、そんで今度は、わたしも振付作りに参加することにしようと思ったら、今度は、ひとみも自分で振付を考えたいと言いだし、結局三つ巴状態となり、最後は、わたしの案で骨組みを作り、その他考えてきたメンバーのいいとこ取りみたいな形で、おどりの振付ができあがりました。

 

 

今回のおどりのシーンは、1人で、ワンマンショーのようにおどっているわけではなく、他の出演者との絡みもあり、やはり全体のアンサンブルが重要でしたので、最後は、外から全体を見ることのできる演出者のわたしが決めたのですが、いろんな人に考えてきてもらった手前、ひとりひとりの案をボツにするのは、難しく、稽古にもしばし停滞がおきて、この過程で葛藤がおきてしまった出演者もいました。

が、なんとか最後は各自の努力でおさまって、中盤の半ばにあるこのおどりのシーンをクリアすることができたのです。

 

 

(ああ、ここをクリアすれば、あとはラストのシーンまで一気にゆけるぞ!)

 

演出者のわたしは、ほっと一息つきながら、本番の稽古の難しさを思いながら、はやく荒立ちを一通り終わらせたいと思っていたのでした。

 

荒立ちとは全体の骨組みを作ることで、さしあたりATでは特に演出者に責任があるのです。

 

 

その後の立ち稽古は、だいたいスムーズにゆきました。

 

抜き稽古・返し稽古、それから通し稽古にほぼスケジュール通り入ってゆくことができました。

そして、演出者としても役者としても、面白くなってくるのは、この段階なのではないかと思います。

 

役者は、自分の課せられた要求を大体のみこみ、今度はそれを土台として、役者としてジャンプしてゆくわけです。

 

この段階からこそ、役者本来の持ち味が出てくるし、いろいろのアイデアも試してみることができるわけです。

 

そうです、ここからが、台本に書いてないことをやったり、演出者が指示してないこと、あるいは、指示していた以上のものをやりだす段階に来るわけです。

 

そしてそれはおもに役者の持ち味や感性によるものなのです。

 

 

この時期、役者達がわたしが思ってもみなかったようなことをやるのを見るのはとてもうれしいものです。

 

もちろん、台本の大筋から外れるものはNGですが、既に台本読みから荒立ちまでの稽古をこなしていた彼らは、そんなはずれたこともやることもなく、わたしは大いにそういうアイデアをやるのを推奨したし、立ち稽古後半になるとどんどんそういうものが役者達自身から出てきて(特に初舞台のひとみの進歩は目覚ましかった)、わたしの仕事はと言えば、役者たちのアイデアや、反応の仕方でよかったところを見つけて、ほめてあげることと、やはり演出なので全体をみなければいけないので、その交通整理をやることでした。

 

わたし自身むろんのこと大した演出者でないわけで、そんな高度なことはわからないし要求もできない、本読みと荒立ちでわたしのイメージは全部出し尽くしてしまっているので、大体それがクリアできたかなと思えれば、もうダメ出すことはあまりないし、後はむしろ役者をほめて彼らにより一層調子に乗ってもらって、乗ってやってもらうことを促進するほうが仕事として重要なのだと認識していました。

 

むろん、ほんとのちゃんとした演出者はきっと、あくなき表現の探求とかあって、最後の最後までダメが出るのかもしれませんが、わたしは到底そこまでの演出者ではないので、あとは出演者が楽しんで乗ってやってもらえるように、進行したつもりです。

 

 

最後に通し稽古ですが、この時期わたしは、通しの始まる前に、次のように言ってから、通し稽古をはじめました。

 

「集中してください、ちゃんと感じて反応してください、楽しんで乗ってやってください」

 

これは結構自分でもいいこと発見したなと思っているのですが、毎回をこれをアナウンスしてから通し稽古をやるようにしました。

 

1時間15分の芝居でしたが、この間を集中をとぎらさずやること、そして、稽古で段取りが身についたといっても、それのこなしには決してならずに (これを段取り芝居という)、ほんとに相手役のセリフを聞いて、また舞台で起きている出来事にきちんと反応して、自分の演技をすること、つまりちゃんと感じて反応するようにと伝えました。

 

(今回の稽古で演技の質とは、反応の生き生きしたさま・反応の深さと関係しているのではないかと、ますます思うようになってきました。)

 

そして最終的に大事になってくるのは役者自身が楽しんで乗ってやることだと思ったのでそれを伝えました。役者が楽しんでやっても自己満足では確かに仕方がありませんが、既に稽古を通して、あるレベルまで作ってきたのですから、それがクリアしているならば、今度は、そのレベルを維持しながら、それに乗っかって楽しんでやることが、役者にとっても、そしてきっと見ているお客さんにとっても重要なことだと思うのです。

 

当たり前のことですが、つまんなそうにやっている役者の姿など見たくはないし、むしろきらきら輝いている役者を見てほしい、それには彼らが楽しんでやっていることが第一条件だし、その楽しい気分を、見ているお客さんにも感じてもらいたい、分かち合いたい。

 

またわたしたちは定職をもつ社会人のグループだけれども、それでも少ない時間を作って、ただ舞台に立ちたい、楽しみたい、そしてそれでできればそんな楽しい時間をお客さんと分かち合いたい、そんなことだけを目標にして稽古してきたわけで、そういう人としての純粋な動機から湧き出るエネルギーや情熱みたいなものを見てくれる人に感じてもらいたいと思っているのです。

 

それはもしかしたら芝居の本来のクオリティとは違うことかもしれないけれども、アマチュアシアターとしては、そういうことを大事にしたいし、そういうもので勝負してゆきたいのです。

 

またそれがなければ、アマチュアの演劇グループなんてなんの意味もないのじゃなかろうか。

 

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